サウナは、昔からありました。銭湯にも、健康ランドにも、ホテルにもあった。設備も入り方も、20年前とほとんど変わっていません。それなのに、なぜ急に流行ったのか。結論から書きます。サウナが流行ったのは、施設が良くなったからではなく、「ととのう」という言葉が生まれたからです。体験は前からありました。名前がなかっただけです。
ぼくは博報堂で13年、アクセンチュアで5年、言葉で市場を作る仕事をしてきました。この事例は、言語化がどれだけの経済を動かすかを示す、いちばん分かりやすい教材だと思っています。
「ととのう」は、誰が言い出したのか
まず事実から確認します。「ととのう」を提唱したのは、濡れ頭巾ちゃんというサウナ愛好家のブロガーです。サウナ後に訪れる多幸感を言語化した言葉で、当初は「整う」と漢字で書かれていました。
意味の作りが巧みです。心身の調和がとれる「整う」と、必要なものがそろう「調う」。2つの意味を重ねたところに、この言葉の強さがあります。
そして2013年、濡れ頭巾ちゃんとタナカカツキさんのウェブ対談で、この言葉が初めて一般のメディアに登場します。その後「マンガ サ道」でととのう状態が視覚化され、ドラマ化されて一気に広まりました。言葉が生まれてから普及するまでに、10年近くかかっています。
名前がつくと、体験が商品になる
ここが本題です。なぜ、言葉ができただけで市場が動いたのか。
それまでも、サウナに入って水風呂に浸かり、外気浴をすると気持ちよくなることは、知っている人は知っていました。でも、それを人に説明できませんでした。「サウナのあと、なんかいい感じになる」としか言えない。
この状態だと、何が起きるか。人に勧められません。説明できないものは、共有もできない。だから、個人の趣味の域を出ませんでした。
「ととのう」という一語ができた瞬間に、これが変わります。言葉があると、それを目的にできる。「今日はととのいに行く」と言えるようになった。目的として名指しできるものは、探されるし、比較されるし、お金を払う対象になります。
マーケティングの言葉にすると、これはカテゴリーの創造です。新しい商品を作ったのではありません。すでにあった体験に名前をつけて、需要の側から新しい市場を立ち上げた。この順番が重要です。
言語化には、3つの効果がある
広告の仕事をしていると、名前をつけることの威力を何度も見ます。整理すると3つです。
| 効果 | 何が起きるか | サウナの場合 |
|---|---|---|
| ①認識できる | 曖昧な感覚が、掴めるものになる | 「なんかいい感じ」が「ととのう」になった |
| ②共有できる | 人に説明でき、勧められる | 友人を誘える言葉になった |
| ③目的にできる | それを求めて行動・消費する | ととのうために施設を選び、通うようになった |
いちばん効くのは③です。体験が目的になった瞬間に、その体験の質を上げる商品が売れ始めます。水風呂の温度、外気浴の椅子、サウナハット。全部「ととのう」を最適化するための道具として意味を持ちました。
逆に言えば、名前がないうちは、どれだけ良い体験でも経済にならないということです。
数字で見ると、いま何が起きているか
では、ブームはいまどうなっているのか。数字を見ると、単純な右肩上がりではありません。
| 状況 | |
|---|---|
| 市場規模 | 約2,000億円前後(2024〜2025年時点の推定) |
| サウナ愛好家人口 | 1,500万人前後で横ばい。2021年をピークに一度減少し、その後は安定 |
| ヘビーサウナー(月4〜8回以上) | 180万人 → 約250万人に増加 |
ここが面白いところです。全体の人数は増えていないのに、深く通う人は増えています。つまり、いま起きているのは拡大ではなく濃縮です。
ブームで一度触れた層のうち、合わなかった人は離れ、ハマった人は頻度を上げた。市場としては、量から質へ移行した段階だと言えます。これは、どのブームでも起きる正常な流れです。
広告屋から見た、この事例の学び
ぼくがこの現象から受け取ったのは、次の一点です。売るものを作る前に、言葉を作れないかを考えたほうが早いことがある。
新しい商品を開発するのは、時間もお金もかかります。でも、すでに存在している体験に名前をつけるのは、コストがほぼゼロです。そして、うまくいけば市場ごと生まれます。
「ととのう」以外にも、同じ構造の例はあります。断捨離も、推し活も、体験そのものは前からありました。名前がついたことで、語れるようになり、商品が生まれ、市場になった。
企業のマーケティングでも同じことが言えます。自社の商品が提供している体験に、まだ名前がついていないなら、そこは大きな機会です。ただし、名付けは会社が押し付けるとうまくいきません。「ととのう」が広まったのは、企業ではなく一人の愛好家が言い出した言葉だったからです。ここは重要な条件だと思います。
いま起きている、次の段階
ヘビー層が増えると、次に何が起きるか。自分の環境を作りたくなります。
週に何度も通う人にとって、移動時間と料金は積み上がります。それに、施設の混雑や、水風呂の温度が好みと違うといった不満も出てきます。深く体験するほど、自分の条件に合わせたくなる。これはどの分野でも共通します。
そこで伸びているのが家庭用サウナです。市場そのものはまだ小さいものの、年率20〜30%の成長が期待されています。バレル型は200万〜300万円ほどしますが、サウナテントやコンパクトな製品も出てきました。
国産ヒノキを使ったTOTONOI CUBEのような家庭用サウナも、この流れの中にあります。通うものだったサウナが、持つものに変わりつつあるという段階です。
ここでも、順番は同じです。言葉ができて、体験が目的になり、目的が深まると、環境ごと欲しくなる。家庭用サウナが売れているのは、設備が安くなったからではなく、需要の側が深くなったからです。
自分の仕事に引き寄せると
この構造は、そのまま働き方にも当てはまります。
ぼくが採用する側にいて感じたのは、自分の強みを言葉にできていない人が、驚くほど多いということでした。実績はあるのに、説明できない。すると、評価のしようがありません。「ととのう」がなかった頃のサウナと同じ状態です。良いものがあるのに、共有できないから価値にならない。
自分の判断や経験を言葉にする作業については、ジャーナリングの記事と市場価値の記事に書きました。言語化は、自己満足の作業ではありません。値段がつく形に変える作業です。
よくある質問
「ととのう」という言葉は誰が作ったのですか
サウナ愛好家のブロガーである濡れ頭巾ちゃんが提唱しました。当初は「整う」と漢字で表記され、心身の調和を表す「整う」と、必要なものがそろう「調う」の2つの意味が込められています。2013年にタナカカツキさんとの対談で一般メディアに登場し、その後「マンガ サ道」やドラマを通じて広まりました。
なぜサウナは急に流行ったのですか
体験に名前がついたためです。サウナ後の多幸感は昔からありましたが、言葉がないため人に説明できず、共有もできませんでした。「ととのう」という言葉ができたことで、それを目的として語れるようになり、施設選びや道具の購入といった消費行動につながりました。
サウナブームは終わったのですか
終わってはいませんが、性質が変わりました。愛好家全体は1,500万人前後で横ばいですが、月4〜8回以上通うヘビー層は180万人から約250万人へ増えています。人数の拡大ではなく、深く通う人が増える濃縮の段階に入っています。
家庭用サウナはなぜ増えているのですか
ヘビー層が増えたためです。頻繁に通う人ほど、移動時間や料金、施設の混雑、水風呂の温度といった条件が気になります。深く体験するほど自分の条件に合わせたくなるため、環境そのものを持ちたい需要が生まれます。市場規模はまだ小さいものの、年率20〜30%の成長が見込まれています。
まとめ
サウナが流行ったのは、設備が変わったからではありません。「ととのう」という言葉ができて、体験が目的になったからです。名前がないうちは、どれだけ良い体験でも経済になりません。
そして、いま起きているのは拡大ではなく濃縮です。全体の人数は横ばいでも、深く通う人は増えている。その結果、家庭にサウナを持つという次の段階が生まれています。
言葉が体験を商品に変え、商品が市場を作る。作るべきものは、意外と「もの」ではなく「言葉」のほうかもしれません。