小さなライバープロダクションをやっています。所属は2人だけの、ほんとうに小さな会社です。
新しいライバーを探すために、配信をたくさん見ます。何時間も見ます。そうしていて、あるとき手が止まりました。この人たちがやっていることは、アイドルとほとんど同じに見える。毎日、自分の生活を差し出して、名前を呼んで、応援される。なのに、誰もライバーのことをアイドルとは呼びません。
その違いは何なのか。ずっと引っかかっていて、今回それを言葉にしました。
結論から書きます。アイドルとは、自分のプロセスをドラマにできる人のことです。歌の上手さでも、顔でも、事務所の大きさでもありません。
アイドルとは、プロセスをドラマにできる人
アイドルの定義を、ぼくはこう置きます。自分が何かになっていく過程そのものを、他人が続きを見たくなる物語として差し出せる人。
歌が上手いこと、踊れること、顔がいいこと。これらは条件ではありません。上手いのに売れない人がいて、上手くないのに武道館を埋める人がいる。この矛盾は、アイドルの商品を「パフォーマンス」だと思っている限り、絶対に説明がつきません。
商品はパフォーマンスではなく、過程です。デビューが決まるまで。センターを取るまで。ケガから戻ってくるまで。卒業を決めるまで。その過程を物語として組み立てられる人が、アイドルとして強い。
ライバー・アイドル・アーティストを並べると、境界線が見える
一つだけを見ていても定義はできません。似ているものを3つ並べると、線が引けます。

アーティストは作品を見せます。過程は宣伝のために出すことはあっても、本体ではありません。音源とライブが商品で、本人の人生は原則として付属品です。
ライバーは、逆にプロセスしか見せません。配信は編集されず、失敗も沈黙もそのまま流れます。距離はいちばん近い。会いにいけるどころか、名前を呼んでもらえます。
では、その中間にいるアイドルは何をしているのか。ここが今回いちばん言いたかったところです。アイドルは、プロセスすら演出します。
「演出されたプロセス」は、嘘ではありません
ここを誤解されると、アイドルは作り物だという話に落ちてしまいます。でも、そうではないと思っています。
総選挙で泣く。卒業を発表する。仲間との衝突が明かされる。ファンはそれを見て泣きます。同時に、どこかに演出があることも分かっています。全部が偶然に起きた出来事だとは、誰も思っていません。
分かっていて、なお泣く。
つまりファンは、事実かどうかを判定していない。判定しているのは、その物語に自分が乗る価値があるかどうかです。ここはマーケティングをやっている人ほど腹に落ちるところだと思います。生活者は事実に金を払うのではなく、意味に金を払う。アイドルはそれを、いちばん純度の高い形でやっている商売です。
ライバーが、アイドルの上位互換にならないのはここです。リアルなプロセスは、リアルであるがゆえに、ドラマの形をしていません。何も起きない日は、ほんとうに何も起きない。編集されず、伏線もなく、結末も設定されていない。だから濃い関係は作れても、物語にはなりにくい。
演出とは、嘘をつくことではなくて、起きたことに意味の順番をつけることです。これは、ぼくたちがブランドの仕事でやっていることとまったく同じ作業です。
→ 過程そのものが商品になる構造は「プロセスエコノミーとは|完成品ではなく「作る過程」に、人はお金を払う」に書きました。この記事はその一段先、過程を見せるだけでは足りないという話です。
ファンは観客ではなく、助演者です
もう一つ、アイドルにしかない構造があります。
映画のドラマは、観るだけです。どれだけ感情移入しても、結末は変わりません。アーティストのライブも、基本は同じです。素晴らしいものを受け取る側にいます。
でもアイドルのドラマは違います。票を入れれば順位が動く。動員が増えれば会場が大きくなる。声が集まれば、いなくなるはずだった人が残る。ファンの行動が、物語の展開を実際に変えてしまう。
だからファンは観客ではありません。助演者です。
主役ではない。そこは押さえておきたいところで、主役はあくまで本人です。でも、いてもいなくても同じ背景ではない。名前のある役で、出番があって、結末に関与している。この立ち位置が、他のどんなエンターテインメントにもありません。
推し活が「消費」という言葉でうまく説明できないのは、これが理由だと思っています。買っているのではなく、出演しています。CDを積む行為は購買ではなく、演技です。
→ 生活者を物語の登場人物として置く発想は「ペルソナキャスティングとは|顧客を「狙う」のをやめ、物語の主役に配役するマーケティング」に、その経済圏としての姿は「推し活経済の正体」にまとめています。
「実力がないのに人気」という批判は、的を外しています
この定義を置くと、長く続いてきた批判の意味が変わります。
歌が下手なのに売れている。演技が拙いのに主演をやる。──こうした言い方は、アイドルの商品をパフォーマンスだと誤解しているところから来ています。
プロセスをドラマにする能力は、才能でありスキルです。何を見せて何を見せないかを選ぶ。弱さをどのタイミングで出すか決める。負けを次の伏線に変える。これができる人は、そんなに多くありません。歌の技術とはまったく別の技術が、そこで戦われています。
ぼくがライバーのスカウトで見ているのも、結局はここです。トークが上手い人より、自分の変化を言葉にできる人のほうが伸びます。今日うまくいかなかった、という一行を、明日につながる形で置ける人。それができる人は、たぶん職業が何であっても強い。
これは、アイドルだけの話ではありません
ここまで書いてきて、自分の仕事の話をしている気分になりました。
ブランドも同じ構造で動いています。完成した製品だけを見せる会社と、作っている途中を見せる会社では、後者のほうが強くなった。ここまではプロセスエコノミーの話です。ただ、過程を垂れ流せばいいわけではありません。どの過程を、どの順番で、どんな意味をつけて出すか。その編集ができて初めて、物語になります。
そして最後に、生活者を助演者にできるか。感想を書ける余白があるか、選ぶ余地があるか、自分の行動が何かを動かした実感があるか。ここまで設計できたブランドは、たぶんもう広告費で戦っていません。
アイドルとは何かを考えていたはずが、ブランドとは何かの答えに戻ってきました。この2つは、同じことを別の産業でやっているだけなのだと思います。
→ アイドル産業の側から設計を解剖した記事もあります。「旧ジャニーズ・BMSG・LAPONE──3つのアイドル事務所に見るマーケティング戦略の決定的な違い」と「乃木坂46のマーケティングを解剖する」です。
よくある質問
アイドルとアーティストの違いは何ですか
見せているものが違います。アーティストは作品を、アイドルは自分が何かになっていく過程を見せます。だから同じ人が両方を行き来することもあります。アイドルとして過程を見せてきた人が、作品で評価されるようになった瞬間にアーティストと呼ばれ始める、という移動はよく起きています。
ライバーやVTuberはアイドルですか
近いですが、同じではないと考えています。ライバーが見せているのは編集されていないリアルなプロセスで、アイドルが見せているのは演出されたプロセスです。ただしVTuberは設定という虚構を最初から持っているぶん、アイドル側の構造に寄っています。この境界は今いちばん動いているところです。
地下アイドルもこの定義に当てはまりますか
当てはまります。むしろ規模が小さいほど、ファンが助演者である度合いは強くなります。数十人の動員なら、一人が行くか行かないかで景色が変わる。関与の実感という意味では、大きな現場より濃いことがあります。
アイドルに実力は必要ないということですか
そうではありません。プロセスをドラマにする力そのものが実力だ、という話です。歌唱力や演技力はその中の一要素で、しかも唯一の要素ではありません。技術が伸びていく過程そのものが物語になる、という順番で効いてきます。
おわりに
ライバーの配信を見ながら、この人はアイドルになれるだろうか、と考えることがあります。
その問いは、歌が上手いかどうかではありません。この人は、自分に起きたことを物語にできるだろうか。そして、見ている人を客席ではなく舞台の上に呼べるだろうか。
そう考えるようになってから、配信の見え方が少し変わりました。何も起きなかった日の話し方に、その人の編集能力が出ます。