旧ジャニーズのタレント写真が、ネット上で長年「シルエット」だったことを覚えているだろうか。
嵐がどれだけ人気でも、ネットニュースの記事にメンバーの写真は載らない。雑誌の表紙を飾っても、Web版では白抜き。ファンはそれを当たり前として受け入れていた。
あれは単なる肖像権の問題ではなかった。マーケティング戦略そのものだった。
博報堂で広告の仕事をしていたとき、エンタメ業界のプロモーションに関わる機会が何度かあった。そのときから感じていたのは、日本のアイドル事務所はそれぞれまったく違うマーケティング哲学を持っているということ。
2026年の今、その違いがかつてないほど鮮明になっている。旧ジャニーズ(STARTO ENTERTAINMENT)、BMSG、LAPONEエンタテインメント。この3社のマーケティングを比較すると、「ファンとの関係の作り方」がここまで違うのかと驚く。
そしてこの違いは、アイドル業界に限った話ではない。あらゆるビジネスに当てはまる、マーケティングの本質的な問いを含んでいる。
旧ジャニーズの戦略──「見せない」ことで欲しがらせる
旧ジャニーズ事務所のマーケティングを一言で表すなら、「供給コントロール型」。
ネットに写真を出さない。サブスクで音楽を配信しない。YouTubeも長年やらない。ファンがコンテンツに触れる手段を徹底的に絞り込んでいた。
テレビで見る。コンサートに行く。CDを買う。写真集を買う。ファンクラブに入る。──この「限られた接点」でしかタレントに会えない構造を、意図的に作っていた。
これは「希少性のマーケティング」の教科書のような戦略。手に入りにくいものほど価値が高く感じられる。心理学でいう「希少性の原理」を、エンタメビジネスの根幹に据えていた。
なぜこの戦略が長年機能したのか
テレビが最強のメディアだった時代、この戦略は完璧だった。
テレビの露出は事務所がコントロールできる。どの番組に誰を出すか、どのCMを受けるか。全ての接点を事務所が設計していた。ファンはその「設計された接点」の中でしかタレントに触れられず、その制限がかえって熱量を高めていた。
CDの売上も同じ構造。サブスクで聴けないから、CDを買うしかない。握手券や投票券を付ければ、1人が何枚も買う。AKB48が有名にした手法だけれど、旧ジャニーズも本質的には同じ「供給制限」のロジックで動いていた。
ファンクラブの会費、コンサートのチケット、限定グッズ。全てが「ここでしか手に入らない」という希少性で成り立っていた。
この戦略が崩れた理由
2つの変化が、この戦略を根本から揺るがした。
ひとつは、メディア環境の変化。テレビの影響力が低下し、YouTube・SNS・サブスクが主戦場になった。「テレビに出る」だけでは若い世代にリーチできなくなった。BTSがYouTubeとSNSで世界を獲っている横で、旧ジャニーズはネットに写真すら出せない状態が続いていた。
もうひとつは、2023年の事務所問題。これをきっかけに、テレビ局がタレントの起用を見合わせ、「テレビ中心の露出戦略」が機能しなくなった。STARTO ENTERTAINMENTとして再出発した後、楽曲のサブスク解禁やSNS活用が進み始めたが、2026年現在でもまだ未配信のアーティストが多い。
マーケティングの視点で見ると、これは「チャネルの前提が変わったのに、戦略を変えなかった」ケース。供給コントロール型は、コントロールできるチャネルが支配的なときにだけ機能する。チャネルが分散した瞬間、コントロールは効かなくなる。
BMSGの戦略──「物語を共有する」ことでファンを仲間にする
SKY-HI(日高光啓)が2021年に設立したBMSGは、旧ジャニーズとは真逆のアプローチを取っている。
BMSGのマーケティングを一言で表すなら、「ブランドナラティブ型」。
「才能を殺さないために。」──このスローガンが、全ての起点になっている。
オーディションからファンと物語を共有する
BMSGの最大の特徴は、オーディションの段階からファンと物語を共有すること。
BE:FIRSTを生んだオーディション番組『THE FIRST』は、審査過程を全て公開した。参加者が泣く姿も、悩む姿も、成長する姿も。ファンはその過程をリアルタイムで見守り、「この子を応援したい」という感情が、デビュー前から形成された。
これはマーケティングでいう「ブランドストーリーの共同体験」。製品が完成してから売るのではなく、製品ができる過程を見せることで、ファンが「自分も一緒に作った」という当事者意識を持つ。
旧ジャニーズが「完成品を見せる」スタイルだったのに対し、BMSGは「未完成の状態から見せる」スタイル。この違いは、ファンとの関係性に決定的な差を生む。
ファンを「仲間」と呼ぶ意味
BMSGはファンを「仲間」と呼んでいる。これは単なるリップサービスではない。
SKY-HIは「ファンに媚びない」と明言している。「本当に良いものを提供し、それを理解してくれる人と共に歩む」という姿勢。ファンを「買ってくれる人」ではなく「一緒に文化を作る人」として位置づけている。
独自のファンプラットフォーム「B with U」を立ち上げたのも、健全なコミュニケーションの場を自分たちで作るため。SNSでの交流も積極的で、制作裏話やアーティストの日常が惜しみなく共有されている。
マーケターとしてこれを見ると、D2C(Direct to Consumer)ブランドの成功パターンと同じ構造が見える。中間業者を通さず、ブランドとファンが直接つながる。その関係性の中で、信頼と熱量が積み上がっていく。
「小さく始める」という逆張り
BE:FIRSTはデビュー直後から大きな会場を埋められるだけの人気があった。でもSKY-HIは、あえて小さなライブハウスからスタートすることを選んだ。
理由は「ファンとの対人間のコミュニケーションが失われることへの危惧」。大きな会場では、ステージと客席の距離が遠くなる。一人ひとりの顔が見えなくなる。
これはマーケティングでいう「スケールより深さを優先する」判断。グロースハックで一気に数字を伸ばすのではなく、コアファンとの関係を深めてから拡大する。結果として、BE:FIRSTは4年でドームアーティストに成長した。
LAPONEの戦略──「ファンに選ばせる」ことで当事者にする
JO1やINIを擁するLAPONEエンタテインメントは、韓国CJ ENMと吉本興業の合弁会社。韓国の「プロデュース」方式を日本にローカライズしたモデルを展開している。
LAPONEのマーケティングを一言で表すなら、「共創型」。
「国民プロデューサー」という仕組み
『PRODUCE 101 JAPAN』(通称「日プ」)は、視聴者の投票でメンバーが決まるオーディション番組。ファンは「国民プロデューサー」と呼ばれ、自分の推しをデビューさせるために投票する。
これはBMSGの「物語を共有する」からさらに踏み込んで、「ファンが意思決定に参加する」モデル。メンバーの選定という、最も重要な決定をファンに委ねている。
マーケティング的に見ると、これは「共創(Co-Creation)」の極地。製品の企画段階から消費者が参加し、自分が選んだものだから買い支える。投票した時点で、ファンは「消費者」から「プロデューサー」に変わっている。
韓国式トレーニング×日本市場のローカライズ
LAPONE社長の崔信化(チェ・シンファ)氏が面白いのは、韓国式をそのまま持ち込むのではなく、日本の文化に合わせてカスタマイズしている点。
韓国版のPRODUCE 101では事務所所属の練習生が参加するが、日本版では一般人から公募した。「素人が育っていく過程を応援する文化が日本にはある」という読み。これはまさにマーケティングにおける「ローカライゼーション」の好例。
もうひとつ興味深いのは「応援広告」の導入。韓国ではファンが自費で推しの広告を街中に出す文化が一般的だが、LAPONEはこの仕組みを日本に持ち込み、宣伝素材まで公式に提供した。ファンの熱量を「広告費」に変換する仕組み。企業がマーケティング予算を使うのではなく、ファンが自発的にプロモーションしてくれる。
数字で見るLAPONEの成果
崔社長は「CD販売を50万枚からスタートする」と宣言し、社内から反対されたという。でも結果的に、JO1のシングルは9作連続で主要チャートの1位を獲得。NHK紅白にも3年連続出場。
「Love seeker」はSpotifyで「2024年にXで世界で最もシェアされた楽曲」に認定されている。共創型のマーケティングが、ファンの自発的な拡散を生んでいる証拠。
3社のマーケティングを比較する
| 項目 | 旧ジャニーズ(STARTO) | BMSG | LAPONE |
|---|---|---|---|
| マーケティング型 | 供給コントロール型 | ブランドナラティブ型 | 共創型 |
| ファンとの関係 | 消費者 | 仲間 | プロデューサー |
| 主要チャネル | テレビ・CD・FC | SNS・YouTube・自社PF | オーディション番組・SNS・応援広告 |
| コンテンツ方針 | 完成品を見せる | 過程を見せる | 選ぶ権利をファンに渡す |
| デジタル対応 | 段階的に移行中 | デジタルファースト | 韓国式PFを日本にローカライズ |
| 希少性の作り方 | 露出を制限する | ブランドの世界観で差別化 | ファンの参加体験自体が希少 |
| グローバル展開 | 限定的 | プロダクトアウトで拡大中 | K-POP基盤でアジア展開 |
マーケターとして見る「3つの教訓」
この3社の比較から、アイドル業界に限らないマーケティングの教訓が見えてくる。
教訓①:チャネルが変わったら、戦略も変えなければならない
旧ジャニーズの供給コントロール型は、テレビが最強のメディアだった時代には最適だった。でもSNSとサブスクの時代には、同じ戦略が「時代遅れ」になる。
これはどの業界でも同じ。メディア環境が変わったら、マーケティング戦略を根本から見直す必要がある。「うちはずっとこのやり方で成功してきた」が、一番危険な言葉。
教訓②:「ファンとの距離」をどう設計するかが全てを決める
旧ジャニーズは距離を遠くすることで価値を高めた。BMSGは距離を近くすることで信頼を築いた。LAPONEは距離をゼロにして当事者にした。
どれが正解ということではない。自分のブランドにとって、顧客との最適な距離はどこなのか。その設計が、マーケティングの根幹になる。
教訓③:「物語」を持たないブランドは生き残れない
BMSGの「才能を殺さないために。」、LAPONEの「国民プロデューサー」。どちらも、ファンが語りたくなる物語を持っている。
旧ジャニーズにも物語はあった。「ジャニーさんが見出した才能」「Jr.から這い上がったスター」。でもその物語は、事務所の問題で一度壊れた。物語が壊れると、ファンの熱量を支える土台がなくなる。
ブランドの物語は、作るのは大変だけれど、壊れるのは一瞬。そして、一度壊れた物語を再構築するのは、ゼロから作るよりも難しい。
HYBE──もうひとつの参照点
少しだけ触れておきたいのが、BTSを擁するHYBE。2025年度の売上高は約2,816億円で過去最高を更新。自社ファンプラットフォーム「Weverse」を軸に、VRコンサート、テーマパーク連携、グローバル34都市での公演展開と、テクノロジー×IP(知的財産)を掛け合わせた戦略を取っている。
日本の3社と比べると、HYBEのスケールは桁違い。でも本質は同じで、「ファンとの接点をどう設計するか」が全ての起点になっている。Weverseというファンプラットフォームを自社で持つことで、ファンデータを直接取得し、それを次の戦略に活かす。D2Cモデルのエンタメ版と言える。
これからのエンタメマーケティングの行方
旧ジャニーズ型の「供給コントロール」は、もう主流にはならないとぼくは感じている。
理由はシンプルで、コントロールできるチャネルが減り続けているから。テレビの視聴率は下がり続け、SNSとサブスクが主戦場になり、ファンは「自分が選んだコンテンツ」しか消費しなくなった。
これからの主流は、BMSGのような「物語の共有」か、LAPONEのような「共創」か、あるいはHYBEのような「テクノロジー×IP」のどれかになる。共通しているのは、ファンとの関係が「一方通行」から「双方向」に変わっているということ。
これはエンタメに限らない。マーケティング全般に起きている変化と同じ。広告を一方的に流す時代から、顧客と一緒にブランドを作る時代へ。
ぼくが博報堂にいた頃は、まだ「いい広告を作れば届く」と信じていた。アクセンチュアで「届ける仕組み」の大切さを知った。独立して、「届けた先で関係を作ること」が全てだと感じるようになった。
アイドル事務所の戦略を見ていると、この変化の縮図が見える。そして、その変化に早く対応した事務所が、結果を出し始めている。