きゃりーぱみゅぱみゅとFRUITS ZIPPERは、まったく違うものに見えます。時代も、音楽も、届き方も違う。
でも、送り出しているのは同じ会社で、同じ人です。アソビシステムと、代表の中川悠介さん。そして15年ぶんの仕事を並べてみると、売っているものが一度も変わっていないことに気づきます。
結論から書きます。アソビシステムが売っているのは、音楽でもアイドルでもありません。「そのままの自分でいい」と思える状態そのものです。時代によって配り方は変わっていますが、中身は15年変わっていない。この記事では、その一貫性を設計として解剖します。
きゃりーが配ったのは、自己効力感だった
まず2011年に戻ります。きゃりーぱみゅぱみゅが「PONPONPON」で登場したとき、日本には行き場のない「私」が大量にいました。
当時の教育は、まだ枠に収める側に重心がありました。同じことを同じようにできる人が評価される。そこからはみ出た人には、はみ出たという自覚だけが残る。おかしいのは自分のほうだ、と思わされていた人がたくさんいたはずです。
そこに、何者でもなかった女の子が現れました。読者モデルから来た、歌がうまいわけでも、大きな事務所の英才教育を受けたわけでもない女の子。その人が世界に届いた。
ここで配られたのは自己効力感です。心理学の言葉で、自分にもやれるかもしれないという感覚を指します。憧れではなく、可能性の感覚。あの子が行けたなら、私も行けるかもしれない。この感覚は、枠からはみ出た側の人にとって、生き延びるための燃料になります。
装置は3つ揃っていました。原宿という、どんな表現も混ざってしまう土地。YouTubeという、テレビの審査を通らずに世界へ出られる配布路。そして、何者でもなかった女の子という主役。この3つが噛み合ったのが2011年でした。
時代が変わり、傷の場所が変わった
それから10年経って、教育のほうが変わりました。
いまの若い世代は、子どもの頃から「自分らしくいなさい」と言われて育っています。個性を大事に、好きなことを見つけて、あなたはあなたのままで。自分らしさが、正解として教えられた世代です。
ところが社会に出ると、その自分らしさが通用しません。会社に入れば役割を求められ、SNSを開けば人の完成形が並んでいる。自分らしくと言われて育ったのに、自分らしさがどこにあるのか分からなくなる。
ここが決定的です。きゃりー期の傷は「私は枠に入れなかった」だったのに対し、いまの傷は「私は自分らしさを見失った」に変わりました。症状が違うので、効く薬も違います。
やれるかもしれないという感覚は、もう十分に配られました。足りなくなったのは、いまのままでもいいという許可のほうです。
KAWAII LAB.が配ったのは、自己肯定感だった
2022年2月、アソビシステムはKAWAII LAB.を始めます。FRUITS ZIPPER、CANDY TUNE、SWEET STEADY、CUTIE STREET。
最初のヒット曲のタイトルが、この企画の全部を語っていると思います。「わたしの一番かわいいところ」。かわいいと判定するのが、見る側ではなく本人になっている。誰かに認められるかわいさではなく、自分が一番だと思うかわいさです。
ここで配られたのは自己肯定感です。できるという感覚ではなく、このままでいいという感覚。効力感が「行動の許可」だとすれば、肯定感は「存在の許可」です。
配布の規模は数字に出ています。2026年7月時点で、「わたしの一番かわいいところ」はTikTokの総再生が30億回を超えました。CANDY TUNEの「倍倍FIGHT!」は関連再生40億回超、CUTIE STREETの「かわいいだけじゃだめですか?」は70億回を突破しています。
※これらはいずれも楽曲を使った関連動画の総再生数で、MVの再生数とは別の指標です。TikTok起点の数字は動きが速いので、読む時期によってはさらに増えています(各グループの楽曲一覧はこちら)。
この規模で配られたのは、楽曲ではなく「かわいいと自分で言っていい」という許可だったのだと思います。
変わったのは変数だけで、構造は同じ
2つの時代を並べると、はっきりします。

主役の置き方も同じです。きゃりー期は何者でもなかった女の子ひとり、KAWAII LAB.期は何者でもない女の子たち。名前のある誰かではなく、まだ何者でもない人を立てるところが変わっていません。
変わったのは、時代の傷と配布装置だけです。やっていることの構造は1ミリも動いていません。
ここがこの会社のすごいところだと思っています。ふつう、成功した会社は成功した形を守ろうとします。きゃりーで当てたなら、きゃりーの再生産に走るのが自然です。でもアソビシステムがやったのは、形ではなく機能のほうを引き継ぐことでした。何を作るかではなく、何を配るか。ここを軸にしていると、時代が変わっても同じ仕事ができます。
なぜ、その肯定は届くのか
ただ、肯定は誰から言われても効くわけではありません。ここに距離の設計があります。
手が届かない憧れの人から「あなたはそのままでいい」と言われても、たぶん届きません。別世界の話として処理されるからです。かといって、隣にいる友達から言われると、慰めに聞こえてしまう。
効くのは、少しだけ先を歩いている同性から差し出されたときです。ちょっと憧れるけれど、手が届かないほどではない。この距離だけが、肯定を自分事にします。
マーケティングでは準拠集団という言い方をします。人は所属している集団ではなく、憧れている集団を基準に選ぶという考え方です。友達のおすすめが参考にならないのに、少し憧れる先輩の持ち物が気になるのは、この構造です。同じ地平にいる人の選択は、参考ではなく比較になってしまう。
KAWAII LAB.の設計は、この距離をきれいに守っています。完璧ではない。歌もダンスも磨いている途中で、その途中が見えている。全員センターという設計も同じ思想の上にあります。序列を先に決めないというのは、評価する人の席を作らないということです。評価者がいない場所でしか、自己肯定は配れません。
→ アイドルという商売そのものの構造は「アイドルとは何か」に書きました。この記事はその応用編にあたります。
サビが2段階あることの意味
ここからは、ぼくが曲を聴いていて気づいたことです。
典型は「わたしの一番かわいいところ」だと思っています。この曲のサビは、一段で終わりません。上がったと思ったところから、もう一段上がる。しかも、美味しいところを毎回は出しません。構成を書き出した個人の楽曲分析でも、サビが回を追うごとに違う顔を見せる作りが指摘されています。1回目で決め台詞を出し、2回目は途中で間奏に逃がして温存し、3回目で全部を合わせてくる。
これが何を生んでいるか。多幸感だと思います。
一段で終わるサビは、気持ちよく着地します。でも着地してしまうと、そこで終わりです。二段構えのサビは、着地しかけたところをもう一度持ち上げる。終わらせてもらえない感じが残る。子どもの頃、遊びが終わらなかった日の感覚に近いと思っています。
そしてこれは、SNS売れの定石への反論にもなっています。
ショート動画の時代、楽曲は「サビの15秒で勝負」と言われてきました。切り取られるのはサビだから、そこを強くする。正しいのですが、この定石には前提があります。切り取られる場所が1か所しかないという前提です。
サビが二段あると、切り取り点が複数になります。1曲の中に当たりくじが何本も入っている状態です。誰かが前半を切り取り、別の誰かが落ちサビを切り取る。同じ曲が、違う顔で何度も流通する。定石を否定したのではなく、定石の前提を1つ増やしたのだと思います。
もうひとつの発明は「歌わなくても真似できる」
楽曲設計には、もうひとつ発明があります。いちばん耳に残る部分が、歌ではなくセリフでできていることです。
「ねぇ? ねぇ? ねぇ?」「それ、かわいい」「倍の倍のFIGHT!」。決め台詞にあたるところが、メロディを歌い上げる場所ではなく、しゃべる場所に置かれています。
ここが効くのは、音程を外しようがないからです。歌が苦手な人でも、そこだけは完全に再現できます。真似した瞬間に、上手くできてしまう。
カラオケで気持ちよく歌える曲を作るのとは、まるで別の設計です。歌唱力という評価軸を、参加の入口から外している。
そしてこれは、さきほど書いた「評価者の席を作らない」という話と、そのままつながります。序列を先に決めないのはグループの設計で、上手い下手を発生させないのは楽曲の設計です。同じ思想が、別のレイヤーで実装されている。
自己肯定を配りたいなら、参加した人が失敗する余地を先に消しておく必要があります。踊って、言って、それで完成する。誰がやっても正解になる形を用意したから、あれだけの数の人が自分の動画を上げられたのだと思います。
社名が、全部を説明している
ここまで書いてきて、答えは最初から社名にあったと気づきました。
アソビシステム。
遊びというのは、目的がない状態のことです。上手くなるためでも、評価されるためでもなく、ただ楽しいから続いている状態。子どもの頃、時間を忘れて遊んでいたあの感じです。あれには終わりがなくて、評価もなくて、上手い下手もありませんでした。
この会社がやっているのは、あの状態をパッケージにして配ることなのだと思います。原宿はその状態が許される土地で、楽曲は終わらないサビでその状態を再現し、アイドルは評価者のいない場所でそれを体現する。会社の名前が、そのまま商品の説明になっている。
企業理念を後から言葉にする会社は多いですが、2007年の社名の時点で答えが出ていた会社を、ぼくは他にあまり知りません。
マーケターが持ち帰れること
この15年から取り出せるものを、3つに絞ります。
- 商品ではなく、機能を引き継ぐ:成功した形を再生産すると、時代とともに古くなります。何を作ったかではなく、生活者の何を満たしたかを軸にすると、作るものは変えられます
- 時代の傷を、定期的に測り直す:同じ層の同じ悩みは10年続きません。効力感が足りない時代と、肯定感が足りない時代は別です。効く薬が変わったことに気づけるかどうかが分かれ目になります
- 評価者の席を作らない:肯定を届けたいなら、評価する構造を先に外す必要があります。序列、ランキング、優劣。これらがある場所では、そのままでいいというメッセージは成立しません
とくに2つ目が難しいところです。ブランドは自分の成功体験を疑いたくない。でも生活者の傷は、こちらの都合と関係なく移動していきます。
よくある質問
アソビシステムとはどんな会社ですか
2007年に中川悠介さんが設立した、東京・原宿のファッションや音楽、ライフスタイルを国内外に発信する会社です。きゃりーぱみゅぱみゅや新しい学校のリーダーズが所属し、2022年2月にアイドルプロジェクトのKAWAII LAB.を発足させました。青文字系カルチャーの発信元としても知られています。
KAWAII LAB.にはどんなグループがいますか
FRUITS ZIPPER、CANDY TUNE、SWEET STEADY、CUTIE STREETなどが所属しています。FRUITS ZIPPERの「わたしの一番かわいいところ」、CANDY TUNEの「倍倍FIGHT!」がとくに大きく広がりました。
自己効力感と自己肯定感は何が違いますか
自己効力感は「自分にはできる」という、行動に向かう感覚です。自己肯定感は「自分はこのままでいい」という、存在そのものを認める感覚です。この記事の見立てでは、社会が求める順番が前者から後者に移りました。できるかどうかを問われ続けた時代のあとに、いていいかどうかが不安な時代が来ています。
この構造は他の業界でも使えますか
使えると考えています。生活者がいま何を欠いているかを測り、それを配る装置として商品を組み立てる、という順番はどんな業界でも同じです。ただ、配るものを間違えると効きません。効力感が欲しい人に肯定を配っても、肯定が欲しい人に発破をかけても、どちらも空振りになります。
おわりに──自己肯定を、カルチャーにし続けている
最後に、この会社でいちばんすごいと思うところを書きます。原宿にこだわり続けていることです。

ふつう、これだけの規模になったら場所は関係なくなります。所属タレントは全国区になり、配信は世界に届き、オフィスがどこにあるかは事業と切り離せる。実際、拠点を語らなくなる会社はいくらでもあります。
それでもこの会社は原宿から動きません。中川さんはインタビューで原宿にこだわり続けて10年と語っていて、その後も変わっていない。ここには、はっきりした意識があると思っています。コンテンツを当てるのではなく、カルチャーを作るという意識です。
この2つは似ているようで、まるで違います。コンテンツは当たれば終わり、飽きられれば次を出すしかない。でもカルチャーは、場所と時間の積み重ねでしか生まれません。そして一度できたカルチャーは、次の世代がそこに入ってくる器になります。きゃりーが立った場所に、10年後の女の子たちが立てるのは、その間ずっと誰かが場所を守っていたからです。
だから、この15年でやってきたことを一言でまとめるなら、こうなります。
自己肯定を、カルチャーにし続けている。
ヒット曲を出すことでも、スターを育てることでもありません。そのままでいいと思える状態を、一過性のブームではなく、街の空気として定着させ続けている。原宿を歩けばそれが許されている、という状態を絶やさないこと。それがこの会社の本当の商品なのだと思います。
ブームは作れます。カルチャーは、居続けた人にしか作れません。