GLAYとL’Arc〜en〜Ciel。どちらも1994年にメジャーデビューし、同じ時代を席巻し、30年経ったいまも同じメンバーで続いています。ここには、偶然では説明できないものがあります。結論から書きます。両者が同時に大きくなれたのは、市場を奪い合ったからではなく、ライバルとして並ぶことで市場そのものを広げたからです。そして長く続いている理由は、二組で正反対でした。
ぼくは博報堂で13年、アクセンチュアで5年、ブランドの競合戦略を考えてきました。この二組の関係は、競合という言葉の意味を考え直させてくれます。
ライバルは、奪い合う相手ではなかった
まず、当事者の言葉から入ります。2024年、GLAYのHISASHIさんとラルクのtetsuyaさんが対談し、デビュー当時をこう振り返っています。
tetsuyaさんの言葉が、この記事の核心です。「どうせライバルと見られるなら、その勢いに乗って盛り上がろう」。そして、こう続きます。「GLAYがCDを2枚同時にリリースしたら、ラルクは3枚出す」(出典:音楽ナタリー)。
ここでやっていることを、マーケティングの言葉に置き換えます。普通、競合が同じ市場にいると、限られたパイの取り合いになります。値下げ合戦や消耗戦になり、両方が痩せていく。よくある話です。
でも、この二組が起こしたのは逆でした。相手が動くたびに、自分も動く。その応酬が、外から見ると「いま、この音楽が面白い」という空気になります。パイを分け合ったのではなく、パイそのものを大きくしたわけです。
1999年、二組は「ライブの規模」そのものを更新した
ここがいちばん重要なところです。二組の競争は、動員数を競っただけではありません。日本のライブが到達できる規模の上限を、二組で押し上げていました。
1999年7月31日、GLAYは幕張メッセの駐車場に特設ステージを組み、「GLAY EXPO ’99 SURVIVAL」で20万人を集めました。これは有料の単独公演として世界記録です(出典:Wikipedia)。
注目すべきは、動員数そのものより、その後に起きたことです。この公演は新聞の一面で報じられ、テレビもラジオも扱い、社会現象になりました。音楽ファンに向けたニュースではなく、世の中全体のニュースになったわけです。
そして、その約3週間後。ラルクは1999年8月21日と22日、東京ビッグサイトの駐車場特設ステージで、1日12万5千人、2日間で25万人を動員します。tetsuyaさんが「悔しかったので、2日間で25万人やった」と語っていたのは、この公演です。
この「1999 GRAND CROSS TOUR」は、全12公演で約65万人を動員しました。しかも8月22日の東京公演は、アジア圏の音楽チャンネルで同時放送され、約1億人にリーチしています。
なぜ「駐車場」だったのかを考えると、本質が見える
ここに気づくと、この競争の意味が変わります。二組とも、既存のスタジアムを使っていません。GLAYは幕張メッセの駐車場、ラルクは東京ビッグサイトの駐車場に、それぞれ特設ステージを建てました。
理由は単純です。その規模を収容できる会場が、日本に存在しなかったからです。入れ物がないから、駐車場に自分たちで作った。
これは、マーケティングでいう市場の創造そのものです。既存の枠に自分を合わせるのではなく、枠のほうを作り変えている。しかもそれを、二組が競い合いながら、同じ夏に別々の場所でやりました。
そして、ここに決定的な意味があります。会場が存在しなかったということは、誰もその光景を見たことがなかったということです。
駐車場を埋め尽くす20万人。地平線まで人が続いている絵。当時、日本の誰もそれを見たことがありませんでした。だから、新聞の一面になったのだと思います。「20万人」という数字が一面になったのではありません。誰も見たことのない光景が、そこにあったからです。
広告の仕事をしていると、この差は骨身に沁みます。数字は比較されますが、光景は記憶されます。「過去最高の売上」は翌年に抜かれて忘れられますが、一度見たことのない絵を見せられた記憶は、何十年も残ります。
実際、あの夏を体験していない世代でも、あの光景の映像は知っています。数字としての世界記録より、あの絵のほうが長く生き残った。二組がやったのは記録の更新であると同時に、まだ誰も見たことのない光景を作ることでした。
だから、この競争は「どちらが勝ったか」の話ではありません。二組が競ったことで、日本のライブ市場に「20万人規模」という新しい選択肢が生まれた。後続のアーティストが大規模な野外公演を構想できるようになったのは、この年に前例ができたからです。
片方だけが20万人をやっていたら、それは一組の記録で終わっていたはずです。二組が続けて達成したことで、それは偶然ではなく、再現できる規模だと証明されました。記録が、市場の標準に変わった瞬間です。
| GLAY | L’Arc〜en〜Ciel | |
|---|---|---|
| 公演 | GLAY EXPO ’99 SURVIVAL | 1999 GRAND CROSS TOUR |
| 日程 | 1999年7月31日 | 1999年8月21日・22日 |
| 会場 | 幕張メッセ 駐車場特設ステージ | 東京ビッグサイト 駐車場特設ステージ |
| 動員 | 20万人(有料単独公演の世界記録) | 2日間で25万人(ツアー全体で約65万人) |
同じ夏に、同じ発想で、同じ規模のことを、別の場所でやっている。これが偶然のはずがありません。互いを見ながら、上限を更新し合っていたということです。
そして、二組の競争がジャンルに触れる人の総数を増やしました。片方のファンが、もう片方も聴く。比べるために、両方買う。比較されること自体が、両者への接触回数を増やしていたわけです。
広告屋から見た、競合の正しい使い方
ぼくが代理店時代に何度も見たのは、競合を無視しようとするブランドでした。相手の名前を出したくない、比較されたくない。気持ちは分かります。でも、この態度は損をします。
理由は単純です。カテゴリーが小さいうちは、競合は敵ではなく、市場を一緒に作る仲間だからです。まだ誰も知らない商品分野で、一社だけが広告を打っても、そもそも「そういうものがある」と気づかれません。二社が競い合って初めて、世の中が「いま、その分野が面白いらしい」と認識します。
敵に回すべきなのは、同じカテゴリーの競合ではなく、そのカテゴリーに関心を持っていない状態です。GLAYとラルクが戦っていたのは、お互いではなく、音楽に興味のない大多数だったのだと思います。
| 消耗する競争 | 市場を広げる競争 | |
|---|---|---|
| 戦っている相手 | 目の前の競合 | カテゴリーへの無関心 |
| 打ち手 | 値下げ・同質化 | 相手と違う形で規模を上げる |
| 受け手から見た景色 | どちらでもいい | いま、この分野が面白い |
| 結果 | 両方が痩せる | 両方が大きくなる |
並んでも埋もれなかったのは、似ていなかったから
ただし、ここには条件があります。ライバルとして並ぶことが効くのは、二者が違う場合だけです。似た者同士が並ぶと、単に比較されて、劣ったほうが消えます。
GLAYとラルクは、同じ時代の同じシーンにいながら、届け方が違いました。GLAYは、より広い層に開かれた歌もの寄りの立ち位置。ラルクは、世界観の完成度と音楽的な実験性を前に出す立ち位置。だから、両方好きな人もいれば、片方だけの人もいる。この重なりと違いの配分が、共存を可能にしました。
これは、以前に書いた差別化をどこに置くかの話とつながります。同じカテゴリーにいること自体は問題ではありません。問題は、同じ場所に立つことです。
30年続いている理由は、二組で正反対だった
ここからが後半です。一世を風靡するバンドは他にもいました。でも、30年後も同じメンバーで動いているのは、簡単なことではありません。
面白いのは、二組の続け方が、まったく違う設計だったことです。
GLAY:走り続けて、自分で舵を握った
GLAYは活動を止めずに走り続けた側です。そして重要なのが、経営面の判断でした。2005年に独立し、2010年には自主レーベル「loversoul music & associates」を立ち上げています。掲げたのは「GLAYがもっと音楽に対して真っすぐである為に」という理由でした(出典:GLAY公式サイト)。2016年にはレーベル名を「LSG」に改めています。
続けるために、続け方を自分で決められる状態を作った。これは、事業として見るとかなり大きな判断です。外の都合でリリース時期や方向性が決まる状態のままでは、30年は走れません。2026年も、全国15箇所16公演のホールツアーを行っています。
ラルク:止まることを、選択肢に入れた
一方のラルクは、活動を止める時期を挟みながら続いてきました。メンバーはそれぞれソロや別プロジェクトで活動し、また集まる。止まることを失敗ではなく、方法として扱っています。
これは、ブランドで言えば休売に近い判断です。無理に出し続けて薄まるくらいなら、いったん引く。そのかわり、戻ってきたときの価値が落ちない。実際、四人の編成は変わらないまま維持されています。
走り続けるGLAYと、止まっては戻るラルク。正反対に見えて、目的は同じです。四人であり続けること。そのための手段が違っただけでした。
自分のキャリアに引き寄せると
この二組の話は、働き方にそのまま置き換えられます。
まず、同期やライバルを敵だと思わないこと。同じ職種の優秀な人は、あなたの椅子を奪う相手ではなく、その職種の価値を一緒に上げる相手です。マーケターの評価が上がって困る人は、マーケターの中にはいません。
もうひとつは、続け方の設計です。走り続けるのか、止まる時期を作るのか。大事なのは、どちらが正しいかではなく、自分がどちらの型で長く走れるかを知っていることです。止まれない設計のまま走り続けると、たいてい壊れます。ぼくは40歳で独立しましたが、あれも「自分で舵を握らないと続けられない」と思った結果でした。
長く価値を保つという意味では、藤井風さんの蓄積の話も同じ構造です。時間を味方にできた人が、最後に強くなります。
よくある質問
GLAYとL’Arc〜en〜Cielはいつデビューしたのですか
どちらも1994年にメジャーデビューしています。GLAYは1988年結成、ラルクは1991年結成です。両者は2024年に揃ってデビュー30周年を迎えました。デビュー前から対バン経験があり、当時からライバルとして見られていました。
二組はライバル関係をどう捉えていたのですか
2024年の対談で、ラルクのtetsuyaさんは「どうせライバルと見られるなら、その勢いに乗って盛り上がろう」と語っています。GLAYが2枚同時リリースなら3枚出す、GLAYが20万人動員なら2日間で25万人、という競い方をしていました。結果として、二組の競争がジャンル全体の熱量を上げました。
なぜ30年もメンバーが変わらずに続いているのですか
続け方の設計が異なります。GLAYは活動を止めず、2005年に独立し2010年に自主レーベルを立ち上げて、自分たちで意思決定できる状態を作りました。ラルクは活動を止める期間を挟み、それぞれの活動を経てまた集まる形をとっています。手段は逆ですが、四人であり続けるという目的は共通しています。
競合と共存するという考え方は、企業にも使えますか
使えます。特にカテゴリーがまだ小さい段階では、競合は市場を一緒に作る相手になります。戦うべき相手は競合ではなく、そのカテゴリーに関心を持っていない大多数です。ただし条件があり、二者が同じ場所に立っていると単なる比較になって劣位が消えます。違う立ち位置であることが前提です。
まとめ
GLAYとラルクが同時に一世を風靡できたのは、ライバルとして並ぶことで、市場そのものを大きくしたからです。しかも二組の立ち位置が違ったので、比較されても共倒れになりませんでした。
そして30年続いている理由は、走り続けたGLAYと、止まることを選べたラルクという、正反対の設計でした。どちらも、四人であり続けるために選んだ方法です。
競合は、敵とは限りません。自分の価値を証明してくれる相手でもあります。そして続けるためには、続け方を自分で選べる状態が要ります。この二つは、音楽の話であると同時に、そのまま仕事の話でもあります。