コンサルに移って1年ほど経ったころ、ふと気づいた。
あれ、最近誰かと雑談していないな、と。
打ち合わせはある。プレゼンもある。SlackやTeamsのやり取りも毎日ある。でも「廊下でふらっと立ち話する」という時間が、完全に消えていた。予定されていない会話が、一切なかった。
博報堂にいたころは、それが普通だった。コーヒーを取りに行ったついでに誰かと10分話して、帰り道に「さっきの話、あのプロジェクトに使えないかな」と思う。その「ついで」が、アイデアの回路だった。コンサルに来て、その回路が静かに閉じていた。
今回は、その「雑談」という行為について、少し深く考えてみたいと思う。

「弱い繋がり」こそが、新しいアイデアをもたらす
社会学者のマーク・グラノヴェッターが1973年に発表した論文がある。「弱い紐帯の強さ(The Strength of Weak Ties)」という研究で、社会科学の分野でもっとも引用されている論文のひとつだ。
内容はシンプルで、要約するとこうなる。新しい情報やアイデアは、親しい友人よりも「ちょっとした知り合い」からやってくることが多い。なぜなら、親友とは同じ情報を共有しているが、「顔は知っているけど深くは知らない人」は、自分の知らない世界と繋がっているからだ。
廊下で立ち話をする同僚、別の部署の人と飲みながら交わす雑談——これが「弱い紐帯」に当たる。グラノヴェッターはこれを「自分の知らない情報へのブリッジ」と呼んだ。
2022年にはスタンフォード・MIT・ハーバード・LinkedInの共同研究が「Science」誌に掲載され、2000万人以上のLinkedInユーザーのデータでこの理論が大規模に実証された。「中程度の弱い繋がり」が転職や新しい機会への扉を最も開きやすい、という結果だった。
博報堂の廊下での雑談が企画の種になっていたのは、感覚ではなく構造の問題だったのかもしれない。
グラノヴェッターの理論は、「廊下でコーヒーを取りに行くついでに話す」という、一見どうでもいい日常行為に、学術的な根拠を与えてくれる。あの10分間の立ち話は、怠けているのでも時間を浪費しているのでもなく、自分の知らない情報へのブリッジを通りに行っていた——そう解釈できる。生産性の観点からは「無駄な時間」に見えるものが、実は情報の多様性を維持するための、かなり重要な回路だったのだと思っている。
リモートワークで「偶然の会話」が消えたとき、何が起きたか
2021年、Microsoftの研究チームが「Nature Human Behaviour」に論文を発表した。社員6万1千人のメール・会議・チャットデータを分析したもので、リモートワーク移行後に「他のグループとのコラボレーション時間が約25%減少した」という結果が出た。
同時期の「Microsoft Work Trend Index」では、直接のチームメンバーとの交流は16%増えた一方、少し離れた同僚——つまりグラノヴェッターの言う「弱い紐帯」の人たちとの関わりが21%減少していた。
Microsoftのレポートはこう結論している。「ネットワークの縮小が、長期的なイノベーションを危うくしている」。
ぼくがコンサルで感じた「偶然のインプットが消えた」という感覚は、世界規模で起きていたことと同じ構造だった。打ち合わせとスライドで1日が終わる。生産性は上がっているかもしれない。でも頭に入ってくる情報の種類が変わって、企画の種になるものが入ってこなくなる。
博報堂が「粒ちがい」にこだわる理由
博報堂には「粒ぞろいより粒ちがい」という言葉がある。同質の優秀さを揃えるのではなく、異なる個性がぶつかり合うことで、非連続なアイデアが生まれるという発想だ。
1981年に設立された博報堂生活総合研究所は、「消費者」ではなく「生活者」という言葉を使う。主体性を持って生きている人間を丸ごと観るという視点で、この発想が広告の基本思想になっている。マーケティングデータを分析するより先に、生活者の話を聞いて、自分も生活者として感じる——その「感じる力」を大事にする文化が、雑談の質を上げていたとぼくは思っている。
「消費者」と「生活者」の違いは、ぼくが入社1年目に先輩から言われたときはあまりピンとこなかった。でも実際に生活者調査に関わったり、プランニングの現場で話を聞いたりしていくうちに、少しずつわかってきたことがある。消費者として人を見ると、何を買うか・どう選ぶかが中心になる。生活者として見ると、何を感じているか・どう生きているかが起点になる。データより先に、自分がその人の立場だったらどう感じるかを問う。その問いが先にあるから、廊下の雑談がただの世間話ではなく、生活の観察になっていたのだと思っている。
2006年に設立された博報堂ケトルは「手口ニュートラル」を掲げた。テレビCMでもPRでもなく、課題解決に最適な手口を選ぶ。そのためにPR・マーケ・クリエイティブ・SPの専門家が分業せず、同じテーブルで話す体制を作った。異なる専門性が一つの場所に集まることで、廊下でもミーティングルームでも「化学反応」が起きる環境を意図的に設計している。

ジョブズがピクサーのトイレをアトリウムに置いた理由
スティーブ・ジョブズはピクサー本社を設計したとき、最初はコンピュータ科学者・アニメーター・その他スタッフを別々の建物に分けようとしていた。でも最終的にその案を捨て、全員を一つの建物に入れ、中央にアトリウムを作った。さらにトイレをそのアトリウムの中央に集約した。全員が1日に何度も中央を通るように、意図的に動線を設計したのだ。
ジョブズはこう言っている。「建物が協働を促さなければ、多くのイノベーションが失われる。偶発性によって生まれる魔法も失われる」。
ピクサーのCCOだったジョン・ラセターは後に「スティーブの理論は初日から機能した。こんなにコラボレーションと創造性を促す建物は見たことがない」と評した。
雑談は「管理できないもの」ではなく、「設計できるもの」だということを、ジョブズはよく知っていた。

ぼくが雑談に求めていたのは、情報ではなかった
今にして思うと、ぼくが代理店の雑談から得ていたのは情報ではなかった。
「思考の外部化」だったと思っている。頭の中でまだ形になっていないものを、誰かに話しながら整理する。相手の反応で「あ、この部分は面白いんだ」「ここはまだ弱い」と気づく。一人で考えているより、声に出すことで輪郭がはっきりする。
これは、1on1や定例会議では補えない。アジェンダがある場では、「まだ形になっていないもの」は持ち込みにくい。完成していないアイデアを話せる場は、予定されていない会話の中にしかない。
コンサルに移って少し経ったころ、あるクライアントのプロジェクトで、なんとなく引っかかっていることがあった。データは出ている、論点も整理できている、でも「なにかが違う」という感覚が消えないまま数日間が過ぎていた。あるとき、同じプロジェクトのメンバーと夕方にたまたまエレベーターで一緒になって、「なんかしっくりこないんですよね、あのスライドの構造」とぼそっと言ったことがある。そしたら相手が「わかります、なんか顧客の話がデータの後ろに隠れてる感じしますよね」と返してきた。その一言で、ずっとモヤっていたものが急に輪郭を持った。顧客の声を先に置いて、データを後から根拠として使う構造に変えたら、プレゼンがまったく別の流れになった。
あのエレベーターの30秒がなければ、ぼくはたぶん気づかないまま出していたと思う。アイデアや問いには、まだ言葉になっていない段階がある。その段階は壊れやすくて、「なぜそう思うのか説明してください」と言われると萎んでしまう。雑談はその「育てる前の状態」を、評価せずに受け取ってくれる場所だと思っている。誰かに話すことで初めて、自分が何を考えていたかがわかる。それが、ぼくにとっての雑談の機能だった。
博報堂では、誰かのアイデアにまわりが自然と肉付けする文化があった。商売になるかどうかは後回しで、「面白いか」「新しいか」を先に問う。その判断をしてくれる人たちが周りにいる環境というのは、今思うとかなり贅沢なものだった。
コンサルでこれをやろうとすると、まずロジックが必要になる。「なぜそれをやるのか」「クライアントへの価値は何か」——先に正当性を証明しないと、アイデアとして扱ってもらえない。それは一つの正しさだけれど、形になる前のアイデアを殺してしまうことにもなる。
働く場所を選ぶとき、ぼくが確認すること
転職を考えているとき、雑談が生まれる環境かどうかを確認するようにしている。
具体的には、職場見学や面接のとき、フロアに立ち話している人がいるかどうかを見る。ランチに社員がどこで食べているかを聞く。「社内で最近面白かった話」を聞いてみる。それが自然に出てくる会社と、「特にないですね」で終わる会社は、文化として別物だ。
雑談のない職場は、悪い職場ではない。コンサルのように、効率が高く、消耗が少なく、組織として整った場所もある。ただ、ぼくにとっての「働く」は、誰かと話しながら考えることとセットだった。それが合う環境かどうかは、給料や福利厚生より先に確認すべきことだったと、今は思っている。
グラノヴェッターが「弱い紐帯」と呼んだものを、ぼくたちは普段「雑談」と呼んでいる。その雑談が生まれる環境かどうかが、長く働けるかどうかの一つの答えかもしれない。
ぼく自身は今、独立して一人で仕事をしている。だからこそ、意識的に「雑談できる場」を作るようにしている。クライアントとの打ち合わせ前の5分、同業者との定期的な飯、SNSでの気軽な反応。仕組みがないと雑談は消える。それはコンサルで学んだことの、皮肉な応用だと思っている。