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40代がやるべきことは「再現性」だけでいい──元同期との会話で気づいたこと

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先日、元同期と久しぶりに話した。

同い年で、お互い会社員時代から知っている。今は別々の場所で働いていて、久しぶりに連絡をもらった。その日は特に深いテーマを話そうと思っていたわけじゃなかった。近況報告のつもりで始まった会話が、気づいたら2時間になっていた。

話の終盤、「結局ぼくたちの年代って、何をすればいいんだろうな」という話になった。40代。キャリアの折り返し地点とも言われるし、まだまだ現役とも言われる。でも正直、何をどう積み上げればいいのか、30代のころよりぼんやりしている気がする。

そこで出てきた結論が、意外とシンプルだった。

「再現性があることをひたすらやる。50代でそれを後輩に渡す。それだけではないか。」

言葉にした瞬間、腑に落ちた。と同時に、「ぼくはまだそこに全然たどり着いていない」とも思った。

「再現性がある」とはどういう状態か

まず「再現性」という言葉を整理したい。

仕事の文脈でこの言葉が出るとき、それはだいたい「誰がやっても同じ結果が出る」という意味で使われる。でもそれだと少し狭い。ぼくが元同期と話して感じた「再現性」は、もう少し広い意味を含んでいた。

「自分が過去にうまくいったことを、なぜうまくいったのか説明できる状態」。それが再現性だと思う。

結果が出た。でもなぜ出たのかわからない。そういう仕事は、再現性がない。次に同じ状況が来たとき、また同じように再現できるかどうかわからない。運と実力の区別がつかないまま、次のプロジェクトに進んでいく。

逆に、「あのとき成功したのは、こういう順番で、こういう判断をしたからだ」と言語化できる仕事は、再現性がある。同じ手順を踏めば、条件が近い別の場面でも機能する可能性が高い。

もうひとつ重要なのは、「他の人が使えるか」という問いだと思う。

自分だけが再現できるのは、再現性とは言わない。それは「熟練」であって、「型」ではない。熟練は属人的で、型は汎用的。この違いが、40代以降のキャリアでかなり重要になってくる。

30代は武器を磨く時期、40代で型にする

20代から30代にかけて、多くの人は「自分の武器」を磨く。

業界の知識、専門スキル、人脈、判断力。一つひとつ積み上げて、「自分にしかできない仕事」の領域を広げていく。その過程でうまくいった経験が積み重なって、「ぼくはこれが得意だ」という感覚が生まれる。

でも、30代後半から40代になったとき、その「武器」がそのまま自分の限界にもなり始める。

自分にしかできない仕事は、自分がいないと回らない。自分が動き続けないと成果が出ない。それが20代のころは強みに見えても、40代になると「依存している状態」に見えてくる。自分の体力、集中力、時間。すべて有限なのに、仕事の量だけ増えていく。

このタイミングで「型を作る」という発想に切り替えられるかどうかで、その後10年のキャリアがかなり変わると思っている。

30代は武器を磨く。40代はその武器を「誰でも使える型」に変換する。そして50代でその型を後輩に渡す。元同期が言っていたのは、たぶんそういうことだった。

ぼく自身の話をする

正直に書く。

ぼくは今、「再現性のある仕事」を完全にできているかというと、そうではない。まだかなりの部分が個人技に頼っている。

ただ、「再現性があるかもしれない」と思っている領域が、二つある。

ひとつは、テレビ局のSNSアカウントを伸ばす手法。

コンテンツの選び方、投稿のタイミング、コメントへの向き合い方、数字の読み方。これはある程度、「こういう順番でやればこうなる」という感覚がある。博報堂時代から数えると、それなりの数のメディアアカウントに関わってきた。うまくいったときのパターンと、うまくいかなかったときのパターンが、頭の中に蓄積されている。

もうひとつは、コンセプトの作り方。

「この商品(サービス・人・組織)は、何者で、誰のために、何を提供するのか」を言葉にするプロセス。これも、経験の中でかなり型が見えてきた。どういう問いを立てれば核心に近づくか、どこで迷ったらどの方向に進むか。感覚的ではあるけれど、ある程度説明できる気がしている。

でも、これを「明日から他の人に渡せるか」と聞かれると、正直渡せない。

頭の中にはある。経験として積み上がっている。でも言語化が追いついていない。「なんとなくこう判断する」という感覚が、まだ型になっていない。ぼくが隣にいて、リアルタイムで補足しながらではないと、再現できない状態にある。

それは再現性とは言わない。

「属人的」のまま走り続けるリスク

属人的な状態がなぜまずいのか。ここを少し丁寧に書きたい。

一番わかりやすいリスクは、「自分が動けなくなったとき」の話だ。病気、疲弊、環境の変化。何らかの理由で自分が止まったとき、自分の仕事も一緒に止まる。個人事業主や独立して動いている人にとって、これは直接的に収入の話になる。

でも、もっと静かなリスクがある。

「自分しかできない仕事」は、自分の時間をどんどん食い続ける。抜けられない。任せられない。結果、自分が関わり続けなければいけないプロジェクトや関係が増え続ける。40代で「自由になりたい」と思っている人ほど、属人的な仕事のやり方がその自由を遠ざけていたりする。

あと、もうひとつ。

属人的なスキルは、引退と同時に消える。自分の中にあるうちは価値があるけれど、自分がその場を離れたとき、何も残らない。組織にも、後輩にも、社会にも。それがどこか寂しい、と感じ始めたのは、30代後半くらいからだった気がする。

残るものを作りたい、という感覚。それが「型を作る」「渡せる状態にする」という発想の根っこにあると思う。

型を渡せる状態にする、とはどういうことか

「渡す」と言うと、マニュアルを作るとか、研修を設計するとか、そういう話に聞こえるかもしれない。でもぼくが思う「渡せる状態」は、もう少し手前の話だ。

まず、「なぜそうするのか」を説明できること。

「こうやればうまくいく」だけなら、それは作業の伝達にすぎない。なぜその判断をするのか、どういう状況のときにそのやり方が機能するのか。そこまで言語化できて初めて、相手が「応用」できる。マニュアル通りではない状況が来たとき、判断できる。

次に、失敗のパターンを共有すること。

うまくいったことだけ渡しても、不完全だ。「こういうときはうまくいかない」「このタイミングで判断を誤りやすい」。その失敗の地図を一緒に渡せると、受け取った側が同じ穴にはまらなくて済む。

そして、「ぼくでなくても判断できる問い」を設計すること。

これが一番難しい。型を渡すとは、答えを渡すことではなく、答えにたどり着くための問いを渡すことだと思っている。「このプロジェクトで一番大事なことは何か」「この判断でリスクを取るとしたらどこか」。そういう問いのセットを持っている人は、ぼくがいなくても動ける。

ぼく自身、まだここまでできていない。でも、少なくとも「言語化しなければいけない」という感覚は、かなり強くなっている。過去の仕事を振り返って、「あのとき何を考えていたか」を書き留める習慣を、少しずつ作り始めている。

50代で「渡す」の意味

元同期が言っていた「50代で後輩に渡す」という言葉が、ずっと頭に残っている。

これは別に、「50代になったら引退する」という話ではない。もっと積極的な意味だと思う。

自分が積み上げてきたものを、次の世代が使えるようにする。それによって、自分ひとりでは届かなかった場所に、影響が届く。自分の時間や体力の制約を超えて、価値が広がっていく。そういうイメージだと思う。

それは組織の中でも、独立して動いていても、同じだと思う。後輩でも、クライアントでも、読者でも。「この人と関わったことで、何かが変わった」という状態を作れるかどうか。それが50代以降のキャリアで残るものになる気がしている。

渡すためには、渡せるものが必要だ。だから40代のうちに、型を作る。再現性のある仕事を言語化する。それが40代の仕事だという結論に、元同期との会話はたどり着いた。

気づいていることと、できていることは別の話

この記事を書きながら、ずっと感じていることがある。

「わかってるけど、できていない」という状態の居心地の悪さ。

再現性を作るべきだとわかっている。型を渡せる状態にすべきだとわかっている。でもぼく自身、まだ個人技に頼っている部分が多い。言語化が追いついていない。渡せるものが、まだ形になっていない。

でも、気づいているのと気づいていないのとでは、全然違うとも思う。

40代でこの問いを持てているかどうか。「自分の仕事は再現性があるか」「渡せる状態になっているか」という問いを、日常の中に持てているかどうか。それだけで、5年後・10年後のキャリアの形がかなり変わってくる気がしている。

元同期との会話は、録音しておけばよかった。でも、こうして記事に書いたから、少しは残った。

型を作るとは、こういうことかもしれない。経験を言葉にして、残すこと。次に誰かが同じ問いに向き合うとき、少しでも参考になる形で。

ぼく自身、まだ途中にいる。でも途中にいながら書くことが、たぶん一番正直な記事だと思っている。