ライブが終わった直後、帰り道の電車の中で、なんとも言えない感覚になることがある。
疲れているのに、なぜか充実している。知らない人たちと同じ時間を共有したのに、どこか孤独じゃない。そして「また来よう」と、ほぼ無意識に思っている。
この感覚に、次の10年のマーケティングのヒントが全部入っていると思っている。
モノは余った。コンテンツも余った。次に余るのは、何か。

物質的な豊かさで言えば、もう十分すぎるほど足りている。スマホを開けば無限にコンテンツがある。音楽は、月1,000円で全部聴ける。
博報堂にいた頃、「消費者はもう買うものがなくなってきた」という話が社内でよく出ていた。2010年代の話だ。あの頃すでに、モノを売ることの限界は現場レベルで感じられていた。
ならば次に人が求めるのは何か。
答えは単純だ。「幸福感」そのものだ。
「体験」という言葉は、もう広すぎる
マーケティングの文脈で「モノから体験へ」という言葉が使われるようになって久しい。ミレニアル世代の約68%は、モノよりも体験にお金を使うという調査もある。欧州では体験への支出が全消費の22%を占め、2019年の19%から拡大し続けている。米国では2024年に体験消費支出がコロナ前比32%増と、食料品(21%増)やその他の財(5%増)を大きく上回った。
ただ、「体験」という言葉は広すぎる。旅行も、外食も、スポーツ観戦も、全部「体験」だ。そこに差別化の答えはない。
もう一段掘る必要がある。体験の中でも、どれだけ幸福感の純度が高いか。それが問いだと思っている。
ライブは、幸福感の「純度」が異常に高い

2018年、イギリスのO2とゴールドスミス大学が実験を行った。ライブ参加・ヨガ・犬の散歩、それぞれ20分体験したときの幸福感の変化を計測したものだ。
結果はこうだった。
- 音楽ライブ:+21%
- ヨガ:+10%
- 犬の散歩:+7%
さらに、自己肯定感と「他者との繋がり感」がそれぞれ+25%、精神的な刺激にいたっては+75%という数字が出た。
依頼元がO2(音楽会場を運営する企業)である以上、この数字を額面通りに受け取るのは慎重であるべきだ。査読論文でもなく、サンプル数も非公開。マーケティング目的の調査という批判は免れない。
ただ、後続の研究がこの方向性を裏付けている。
2024年、学術誌『Personality and Social Psychology Bulletin』に掲載された研究では、ライブ参加者789人を対象に「集合的高揚感(Collective Effervescence)」を分析した。ライブで生まれる「一体感・神聖な感覚」が、イベント終了後も1週間にわたって幸福感と人生の意味の感覚を高め続けることが確認されている。その場だけで終わらない。残留する幸福感だ。
あの、フロアが一体になる感覚。知らない人と同じ瞬間を共有する感覚。日常がいっとき、完全にシャットアウトされる感覚。これを言語化しようとすると難しいが、体験した人間には説明不要だ。そしてその感覚は、翌日も、翌々日も、うっすらと続いている。
市場が証明している
感情論ではない。数字がそれを証明している。

グローバルのライブ音楽市場は、2024年に約348億ドル(約5.2兆円)規模。2034年には626億ドルに達すると予測されており、年平均成長率(CAGR)は約8.8%。別の調査では、ライブ体験の収益成長率はCAGR 9.6%と予測されており、これは全消費者支出の成長率2.4%の約4倍に相当する。
Live Nation単体で見ると、2024年の売上は230億ドルを超え、1年間で1億5,100万人を動員した。Taylor SwiftのEras Tourは単体で20億ドルを突破している。1アーティスト・1ツアーで、だ。
日本も例外ではない。ぴあ総研の2025年発表によれば、2024年の日本のライブ・エンタメ市場規模は7,605億円と過去最高を更新。コンサートプロモーターズ協会(ACPC)のデータでは、2024年の総売上額は6,121億円(前年比119%)、動員数は約6,000万人とこちらも過去最多だ。日本の人口の約半分が、1年間に1回はライブ会場に足を運んだ計算になる。
コロナ禍で壊滅的なダメージを受けたこの市場が、これほど力強く回復・成長しているのは偶然ではない。人々が「またライブに行きたい」と思い続けているから、だ。欲しいモノがなくなった時代に、ライブだけは欲しさが衰えない。
デジタルが進化するほど、リアルの価値は上がる
ここに逆説がある。
Spotifyの月間アクティブユーザーは2024年末に6億7,500万人を超えた。Apple Musicの有料会員は9,400万人。日本でも音楽ストリーミングの総再生回数は2024年に前年比11%増と伸び続けている。音楽を「聴く」体験のコモディティ化は、これ以上ないくらい進んでいる。
だからこそ、再現できない体験の価値が際立つ。
興味深いのは、ストリーミングとライブが「競合」ではなく「補完」の関係にあることだ。2022年に学術誌ScienceDirectに掲載された研究によれば、ストリーミングで楽曲にアクセスできなくなったアーティストはライブ収益も低下した。逆に言えば、ストリーミングはライブの需要を生み出している。別の調査では、ストリーミングで新しいアーティストを発見した人の50%がそのアーティストのチケットを購入している。
デジタルが広げた入口から、リアルに人が流れ込む。この構造が、ライブ市場の成長を底支えしている。
ライブは、録音できない。あの瞬間のアーティストの表情も、フロアの空気も、隣の見知らぬ人と目が合った瞬間も──動画では絶対に届かない。2026年に『Scientific Reports』に掲載されたランダム化比較試験でも、ライブ会場参加者はストリーミング視聴者より音楽への感動・情動的覚醒・評価がいずれも高いことが実証されている。
アクセンチュア時代に、あるDXプロジェクトで「デジタル化できるものはすべてデジタル化する」という方針のクライアントと仕事をした。効率化の観点では正しい。でもそのプロジェクトの途中で、ぼくはずっと気になっていた。「デジタルで代替できない部分を、どう扱うか」という問いに、誰も答えていなかった。
デジタルで代替できないものが、次の時代の希少資産になる。ライブ市場は、その証明を数字でやっている。
「推し活」3.8兆円の正体

日本の推し活消費市場は3.8兆円、推し活人口は約2,600万人とも言われている。
注目すべきは、その主役が変わってきていることだ。かつては10〜20代中心だった推し活が、いま40〜50代の中高年層に急速に広がっている。そしてこの層は、単価が高い。グッズ・ライブ・遠征・課金──物価高や円安の影響を受けにくく、継続的に消費する。
なぜか。
推しがいると、幸福感の「場所」ができる。日常の中に、確実に幸せになれる場所がある人間は強い。それがライブであり、グッズであり、SNSの応援投稿だ。消費の目的が「モノを得ること」ではなく「幸福感を維持すること」になっている。
これは購買行動として見ると、かなり特殊な状態だ。ライブイベントのチケット購入者は非購入者に比べ、音楽への年間支出が約20倍(276ドル対15ドル)というデータもある。かつ音楽サブスクリプションの有料利用率も約2倍。ロイヤリティが高く、価格感度が低く、リピート率が高い。ブランドマーケターが夢見る顧客像そのままだ。
マーケターが学べること
この構造を、ライブ産業や推し活だけの話として読むのはもったいない。
体験経済の市場規模は2032年に2.1兆ドルに達すると予測されている(McKinsey試算)。これはライブだけの話ではなく、「幸福感を設計できるビジネス」すべての話だ。
「幸福感の純度が高い体験」を設計できるビジネスは、これからも強い。逆に言えば、幸福感に繋がらない体験は、どれだけ便利でも選ばれにくくなる。
ぼくが使うのは、この三問だ。
- なぜここに来るのか(来る前の期待値)
- 来た後、どんな気持ちになるか(体験の純度)
- その体験は、デジタルで代替できるか(希少性)
この三問に答えられるブランドや場所が、次の10年を生き残ると思っている。
「うちの商品は推し活と関係ない」と思う人ほど、考えてほしい。幸福感と繋がっているか。来た後に「また来よう」と思ってもらえるか。その体験は、スマホの画面に替えられるか。それだけだ。
帰り道の電車の感覚

冒頭に書いた、ライブ後の帰り道の感覚。
疲れているのに充実している。知らない人と同じ瞬間を共有した余韻が、翌日もうっすら残っている。あの状態を、ビジネスで作れるかどうか。それが、次の時代のマーケティングの核心だと思っている。
幸福感を売るものが勝つ。ライブ市場は今、その証明をしている。
そしてぼくは、その証明に毎回お金を払い続けている一人だ。
参考データ:Custom Market Insights(2025)/Live Nation 2024 Annual Report/ぴあ総研「ライブ・エンタメ市場調査」(2025)/ACPC コンサート市場調査(2025)/Nicole Koefler et al., Personality and Social Psychology Bulletin(2024)/Scientific Reports(2026)/MiDiA Research「Profiling the Live Consumer」/MusicWatch「From Stream to Ticket」/Gensler U.S. Consumer Experience Report(2024)/O2 × Goldsmiths University研究(2018)/矢野経済研究所「推し活市場」調査