博報堂に入社して最初の1ヶ月、ぼくは毎晩「今日も何もできなかった」と思いながら帰っていた。
アクセンチュアに転職した時も、博報堂で13年やってきた自信は、入社初日からじわじわと崩れていった。会議の進め方が違う。言葉の定義が違う。評価される仕事の軸が違う。「ぼくはここで何ができるんだろう」という焦りが、ずっと頭の中にあった。
でも3ヶ月経つと、少しずつ動けるようになった。6ヶ月経つと、普通に仕事ができるようになっていた。
あのとき何が起きていたのかが、今はわかる。「慣れ」が来ていたのだ。
環境が変わる=今までの慣れを捨てること

これを最初に言っておきたい。
転職や異動で環境が変わるとき、多くの人は「今まで培ったスキルや経験を活かそう」と考える。それは正しい。でも同時に、「今まで積み上げた慣れを一度手放す」という覚悟が必要だ。
前の職場で「当たり前」だったことが、新しい環境では通じない。博報堂での「空気を読む」「関係性を大切にする」という感覚は、アクセンチュアでは邪魔になることがあった。前の環境でうまくいっていた行動パターンが、新しい環境で足を引っ張ることがある。
慣れは積み上げるものでもあり、リセットするものでもある。環境が変わった瞬間、自分の「慣れの棚卸し」が始まる。前の慣れにしがみつく人ほど、新しい環境への適応が遅れる。
転職が苦しいのは、スキルが足りないからじゃない。今まで染み付いた慣れを手放すことが、想像以上に難しいからだ。
慣れるのが早い人と遅い人、何が違うのか
新しい環境で早く活躍できる人は、頭がいいわけじゃない。経験が豊富なわけでもない。「慣れ」を意識的にやっているかどうかの差だと思っている。
ほとんどの人は、慣れることを「自然に起きるもの」だと思っている。時間が経てば慣れる。誰かが教えてくれれば慣れる。でも、慣れは待つものじゃなくて、自分から取りに行くものだ。
慣らしを意識的にやっている人は、新しい環境に入ったとき「まず動く」ことを選ぶ。完璧に理解してから動くのではなく、7割の理解で動いて、フィードバックをもらいながら精度を上げていく。この繰り返しが「慣れ」を加速させる。
逆に慣れるのが遅い人は、完全に理解してから動こうとする。マニュアルを全部読んでから始めようとする。でも、仕事の本当のことはマニュアルには書いていない。
ぼくの3回の「慣らし」体験
転職と独立を合わせると、ぼくは3回、まったく違う環境に飛び込んでいる。その都度、「慣らし」の感覚が少しずつわかってきた。
博報堂の最初の1年
大学を出てすぐ入社した。広告の世界は想像していたものと全然違った。コピーを書くより、クライアントとの打ち合わせや社内調整の方が仕事の大半を占めていた。
最初に意識したのは「とにかく量をこなすこと」だった。下手でもいいから提案書を書く。怒られてもいいからアイデアを出す。恥をかく回数が多いほど、早く慣れた。失敗することが「慣らし」のための投資だと思っていた。
アクセンチュアへの転職
代理店からコンサルへ。文化の違いに一番戸惑ったのはここだった。
博報堂では「空気を読む」「関係性を大切にする」「チームで作り上げる」という感覚が染み付いていた。アクセンチュアでは「論点は何か」「根拠はあるか」「スライド一枚で言えるか」という直球の世界だった。
最初の3ヶ月、ぼくは会議でほとんど発言できなかった。意見を言う前に「これは論理的か」と考えすぎて、タイミングを失っていた。
転機になったのは、あるシニアマネージャーに言われた一言だった。「間違えてもいいから、とにかく発言しろ。黙っているやつは存在しないのと同じだ」。そこから意識を変えた。7割の確信で発言して、指摘されたら直す。その繰り返しで、3ヶ月後には普通に議論に入れるようになっていた。
独立したとき
会社という構造がなくなるのは、想像以上に怖かった。
博報堂もアクセンチュアも、朝に出社すれば仕事がある環境だった。でも独立すると、何も起きない朝がある。誰からも連絡が来ない午後がある。「ぼくは本当に仕事があるのか」という不安が、最初の数ヶ月ずっとあった。
ここで意識したのは「自分のルーティンを早く作ること」だった。何時に起きて、何時から仕事して、何時に終わるか。会社が与えてくれていたリズムを、自分で設計する。このルーティンが安定してきた頃から、仕事のパフォーマンスも上がっていった。
なぜ「習うより慣れろ」なのか

自転車の乗り方は、説明を聞いてもわからない。乗ってみて、転んで、バランスを体が覚えるしかない。
仕事も同じだと思っている。知識を持つことと、体が動くことは別の話だ。
新しい環境での「慣れ」は、頭で理解することじゃなくて、体がその環境のリズムを覚えることだ。会議の雰囲気、メールの温度感、評価される行動のパターン。これは、経験した回数だけ蓄積される。
「もう少し理解できたら動こう」と思っている間は、慣れが来ない。理解が追いつく前に動き始めることが、慣らしを加速させる唯一の方法だと思っている。
習慣の科学──なぜ「慣れ」は繰り返しでしか身につかないのか

ロンドン大学の研究者フィリッパ・ラリーが2010年に発表した研究がある。新しい習慣が「自動化」されるまでにかかる日数を調べたものだ。よく言われる「21日間で習慣化できる」という話は実は根拠が薄く、ラリーの研究では平均66日かかることが示された。早い人で18日、遅い人では254日かかった。
何が言いたいかというと、「慣れ」はショートカットできないということだ。
脳科学の視点で言うと、習慣とは「神経回路が強化されること」だ。同じ行動を繰り返すたびに、その行動に対応する神経回路のまわりに「ミエリン鞘」という絶縁体が形成されていく。ミエリン鞘が厚くなるほど、その神経回路の信号伝達が速くなる。これが「慣れると速くなる」「考えなくてもできるようになる」の正体だ。
チャールズ・デュヒッグは著書『習慣の力』の中で、習慣は「きっかけ→ルーティン→報酬」の3ステップで形成されると述べている。
- きっかけ(Cue):脳が「今から自動モードに入る」と認識するサイン
- ルーティン(Routine):実際の行動や思考
- 報酬(Reward):行動の後に得られる何か(達成感・快感・安心感)
転職してうまく慣れていく人は、この3ステップを無意識に作っている。毎朝同じ時間に出社し(きっかけ)、最初の30分でその日のタスクを整理し(ルーティン)、整理できた安心感を得る(報酬)。このループが安定するほど、仕事全体のパフォーマンスが上がっていく。
逆に、なかなか慣れない人はこのループが作れていない。毎日違うやり方で仕事を始めて、毎回「どうしようか」から考え直している。脳が自動モードに入れないから、余計なエネルギーを消費し続ける。
「慣らしを意識する」とは、このハビットループを意図的に設計することだ。
ただ、ここで一つ付け加えたいことがある。
習慣化で本当に大事なのは、「作業を繰り返すこと」より「思考のパターンを染み込ませること」だと思っている。
「会議前に論点を整理する」という作業を習慣にするのと、「何かを始める前にまず目的を一言で言えるか確認する」という思考を習慣にするのでは、まったく意味が違う。前者はその会議にしか使えない。後者は、あらゆる場面に応用できる。
新しい環境で壁にぶつかったとき、「この状況はどう解決していくか」という問いに対して、自分なりのアプローチが自然と出てくるようになる。それが本当の意味での「慣れ」だ。
「こういう場面では、こう考える」という思考の型を積み重ねていくこと。それがルーティンを超えた、本質的な習慣化だと思っている。
慣らしを意識的に早める4つのこと

① 小さく動いてフィードバックをもらう
完璧な仕事を目指すより、60〜70点の仕事を早く出す方が慣れは早く来る。
上司や先輩に「まだ完全じゃないですが」と前置きして見せる。指摘をもらう。直す。この回転を速くするだけで、同期より3ヶ月早く「一人前」になれる。
完璧主義は慣れの敵だ。完璧な仕事を出そうとする人は、いつまでも動けずに時間だけが過ぎていく。
② 違和感を記録しておく
新しい環境に入ったとき、「ここは前の職場と違う」という違和感がたくさん出てくる。
この違和感は、慣れるほど見えなくなる。でも最初の1〜2ヶ月に感じた違和感は、その環境の本質を映している。後から「あのとき気づいていたのに」と思わないために、短くでいいので書き残しておくといい。
ぼくはアクセンチュアに入ったとき、感じた違和感をメモしていた。半年後に読み返したとき、「ああ、これがコンサルとエージェンシーの文化の違いだったんだ」と腑に落ちた。違和感の記録は、その環境の地図になる。
③ 自分のルーティンを早く作る
慣れるのが早い人は、新しい環境でも「自分のリズム」を早く確立する。
出社したらまず何をするか。昼休みをどう使うか。一日の終わりに何を確認するか。小さなルーティンが積み上がると、環境に流されなくなる。自分の土台ができると、仕事の本質的な部分に集中できるようになる。
ルーティンは「変化に対応するための安定」だ。毎日同じことをするから、変化に気づけるようになる。
④ 気づきを言葉にしてストックする
これが一番地味で、一番効く。
メモを取る、というと「言われたことを書き留める」と思う人が多い。でもここで言っているのは違う。「これは習慣にした方がいい」「この人のやり方は真似したい」と感じた瞬間を、言葉にして残すことだ。
たとえば「あの先輩は会議の前に必ず論点を一行で書いている」と気づいたとき、それを言葉にしてメモする。「会議前に論点を一行で整理する習慣」と書き残す。この積み重ねが、自分のスキルとして定着していく。
言われたことを記録するメモは受動的だ。でも自分が観察した気づきを言語化するメモは、能動的なスキル形成だ。新しい環境に入ったとき、周りの「うまい人の動き方」を観察して言葉に変える習慣を持っていると、慣れのスピードがまったく変わる。
日常的にやり続けることが大切で、一時期だけやって終わりにしないことが重要だ。
⑤ ご褒美を仕組み化して、メンタルをコントロールする
ハビットループの話に戻るが、習慣が定着するかどうかは「報酬」の質にかかっている。
転職したての時期は、消耗する。慣れない環境で、慣れない言語で、慣れない人間関係の中で働き続ける。メンタルが削られていくのは当然のことだ。
そこで意識してほしいのが、「定期的なご褒美を先に決めておく」こと。ちょっといい日本酒を開ける日を決める。好きなアーティストのライブに行く日を押さえておく。何でもいい。「この日まで頑張ればあれがある」という先の楽しみが、慣れない日々を乗り越える燃料になる。
これは根性論とは違う。ハビットループの「報酬」を意図的に設計することだ。脳は報酬を期待するから行動を続けられる。報酬がなければ、習慣はいずれ途切れる。
メンタルのコントロールを「気合い」に頼らず、仕組みとして作っておく。これが転職後の3ヶ月を乗り切る、地味だけど確実な方法だと思っている。
コーチングという選択肢
ぼく自身はコーチングを受けたことがない。でもアクセンチュアにいたとき、若手の何人かがコーチングを受けているのを見ていた。
最初は「外部のコーチと何を話すんだろう」と思っていた。でも彼らの変化を見ていると、ある共通点があった。自分の思考のクセに気づくのが、他の人より早かった。「自分はこういうときにこう反応してしまう」「この状況になると思考が止まる」ということを、言葉にして持っていた。
コーチングの本質は、答えを教えてもらうことじゃない。コーチに問いを投げかけられることで、自分が無意識にやっている思考のパターンに気づくことだ。一人でジャーナリングや内省をしていても、自分の思考のクセは見えにくい。外から「あなた今どう考えましたか」と問われることで、初めて見える部分がある。
この記事で言っている「思考の習慣化」を加速させようとするなら、コーチングはかなり有効な手段だと思う。新しい環境に入ったタイミングは、特に効くはずだ。自分の思考パターンがリセットされていて、新しいパターンを作りやすい状態にある。
おすすめのコーチングサービス
ZaPASS(ザパス)

国際資格を持つプロコーチとマンツーマンでセッションを行うコーチングサービス。ビジネスパーソン向けに特化していて、仕事のパフォーマンス向上・リーダーシップ・キャリアの意思決定などを扱う。
コーチとの相性を重視していて、無料体験セッションで試してから継続するかを決められる。思考のクセや行動パターンを客観的に見てもらいたい人に向いている。
【ZaPASSコーチング】ビジネスパーソン向けオンラインパーソナルコーチングサービス
POSIWILL CAREER(ポジウィルキャリア)

キャリアに特化したパーソナルトレーニングサービス。「どう生きるか」「何を仕事にするか」という根本的な問いから向き合い、転職・独立・キャリアチェンジの意思決定を支援する。
20〜30代のビジネスパーソンに利用者が多く、転職活動のサポートというより「自分がどう働きたいか」の整理に向いている。新しい環境に入る前後に、自分の軸を言語化しておきたい人に特に合うと思う。
費用は安くないし、相性もある。でも「習慣化は一人でやるもの」と決めつけなくていいと思っている。思考の型を作る作業に、伴走者がいることは弱さじゃない。
早く自分を習慣化できれば、早く上に行ける

新しい環境に入った人間を見ていると、3ヶ月で差がつき始め、6ヶ月で明確に分かれる。
その差は、能力よりも「慣れるのが早かったかどうか」によるところが大きい。慣れた人間は、その後の仕事にリソースを使えるようになる。慣れていない人間は、いつまでも「環境への適応」にリソースを使い続ける。
慣れは待っていても来ない。前の慣れを手放して、意識的に動いた回数だけ、早く来る。
4月から新しい環境に入る人、転職したばかりで「まだ動けない」と感じている人に、少し参考になれば嬉しい。習うより慣れろ、は今でも正しいと思っている。